香川歴史的建造物保存活用会議
Kagawa Historical Architecture Committee

Repot

 
2018.07.14
第16回 ヘリテージマネージャー大会 in 淡路

(報告者:大西泰弘)

戦没学徒記念・若人の広場

 2018年7月14日、ひょうごヘリテージ機構・淡路が主催するヘリテージ・マネージャー大会 in淡路に参加。香川歴史的建造物保存活用会議からは5名が、ほか兵庫以外は徳島、京都、新潟からの参加もあった。
 この大会はひょうごヘリテージ機構の各ブロックが持ち回りで開催しているもので、今年は淡路が担当とのこと。午前中は会場となった南あわじ市福良地区の見学、午後からは事例報告とパネルディスカッションが開催された。

淡陶タイル工場見学

 午前の部の私が参加したバスツアーでは「淡陶タイルの工場」と「戦没学徒記念・若人の広場」を見学し、淡陶タイルではタイルの時代の見分け方のヒントを知ることができた。タイルの製造年の見分け方の一つとしてタイル裏面を見ること。明治41年から昭和初期までは「刷毛引き」だが昭和一桁の時代以降は「千鳥」や「菱形」の模様になっているとのこと。
 淡陶タイルは良質な粘土が産出するこの地で明治18年に現在の前身となる淡陶社を設立、輸出タイルの生産を始め、明治後期には輸入タイル同レベルの国産タイル製造ができるようになったとのこと。近代の建築を見る際の参考になるかと思う。

淡陶タイル/明治36年製

淡陶タイル/明治41年製

淡陶タイル/昔の製品展示

淡陶タイル/初期の製品

若人の広場

 見学後半の「戦没学徒記念・若人の広場」は、香川県にもかかわりがある丹下健三氏の設計で、エントランス正面に建つ展示室から徳島鳴門方向にまっすぐ伸びたアプローチの先に高さ25メートルの記念塔が建つというもので、直線軸が強調された構成となっている。展示室内部はアメリカ・テキサスのキンベル美術館のようなヴォールト天井で広い空間を構成し、外観は花崗岩を積み上げた印象的な造形となっている。阪神・淡路大震災の影響により建物は長い間放置され、打ち放しコンクリートや石積みは劣化が相当進んでいたことが見て取れる。石積みは大胆に修理されるなど、細部の修理は写真で見る原形と異なる部分を多く見ることができるが、全体構成がしっかりとしていて、大きな違和感を感じるほどのものではない。
 
<写真>見学コースの一つ「戦没学徒記念・若人の広場」設計:丹下健三、1963年(昭和42年)に建設されるが、阪神・淡路大震災の影響で閉園、2015年(平成27年)再整備され開園した。

若人の広場のエントランス

この建物が、あまり知られていないのはなぜか。後日、こんなブログを見つけた。

・・・・丹下事務所は動員学徒援護会の政治的背景を把握していなかったようです。完成直前になって、この計画に岸信介氏が関わっていることや竣工式に自衛隊の艦艇や飛行機がやって来ることを知ると、1960年の安保改正に関して当時の岸首相に批判的だった丹下氏は、竣工式を欠席した上に若人の広場は作品集に掲載しないことを決めます 。設計者が竣工式を欠席するという通常あり得ない態度をとるほど、政治家や自衛隊の関与に対する丹下氏の反発は強いものでした。

パネルディスカッション

 午後からは「埋(漏)もれた日本遺産・ヘリマネ・地域おこし/ヘリテージマネージャーは地域おこしにどう向き合うのか」というテーマで、第一部では淡路島の「日本遺産認定までの道のり」についての講演があり、第二部では事例報告の後、パネルディスカッションがあった。ここで最も印象に残ったのは、国登録有形文化財の「春陽荘」の報告であった。昭和16年に造船事業者が建てた大規模な邸宅を宿泊もできる施設として運営しているもので、その様々な運営手法の見事さと、写真で見る限りではあるが修理の状態がすばらしく、是非改めて訪問したい施設である。

パネルディスカッション

懇親会

 懇親会では、香川県で開催した2年間の養成講座でもお世話になった澤田さんや才本さんほか、丸亀の私の自宅のご近所出身の大工さんにも合うという出来事もあった。また交流会では京都から参加の「古材文化の会」の風月さんから、香川との交流会開催の相談を受けたが、具体的な話になる前に交流会は終了。後日、11月10日と11日に洲本市で、兵庫、徳島、京都、香川の交流会を企画しているとの連絡をいただいた

懇親会で香川歴史的建造物保存活用会議設立を報告